今日のサザンビーチ と原発止まるってどういうこと!?

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

茅ヶ崎のモニタリングポストがある県の衛生研究所が停電のため、webの更新もできないし、そもそも計測ができてない。地球環境スキャニングプロジェクトの藤沢も、なぜかダウン中。その他で最も近いのが鎌倉市手広で、朝9時の計測値は0.096μSv/hだったようだ。

北電の原発が5月5日に定期検査で止まる見込みなんだそうな。なんでそんな祝日に止めるんだか知らないが、そうなんだそうな。で、今月末あたりに柏崎が止まるはずなので、そうなるとついに、日本列島で発電している原発はなくなっちゃう、ということになるのだった。反原発派の歓声が、いまから聞こえてくるようだ。

今日の読売の社説は、「「原発検査」了承 政治が決断し再稼働を目指せ」、である。「合理的な理由もなしに、再稼働を先送りしている余裕はない。安全対策に問題がないと判断される原発は、再稼働すべきだ」である。安全委員会が"合格"とする検証結果をまとめたんだから、安全だというんである。その安全委員会の斑目が、こんなもんで安全性なんか判断できない、と言ったことなんか、もちろんほっかむりだ。しかしまあ、そんなこともともかくとして、問題は"政治が判断して"って部分だ。この社説書いたヤツはたぶんバカぢゃないので、きっと読者がバカだという前提で書いてるんだとは思うんだけど、政治の判断ってのは、いま目の前の話で言えば、つまり野田と枝野と平野の判断である。それでいいと、こいつらホントに思ってるのか? 新しくできるはずの原子力規制庁のトップはどうでもいいのか? まあ、どうせ任命権者が野田なんだからどうでもいいのか。ていうか規制庁、いつできるんだ。ホントにできるのか。

ていうか、誰もそこに触れないのが不思議なんだが、原発は止まっても安全ではないんである。真っ先に菅が止めた浜岡だって、5月に止まってもうすぐ1年になるわけだけど、いま地震でも津波でも喰らって全電源が落ちたら、運転中だったときよりは時間的余裕があるけれど、やっぱりメルトダウンしちゃうんである。逆に言うと、中電はいまこの瞬間も、浜岡原発の燃料棒や使用済み燃料を冷却し続けているから、核燃料がメルトダウンしないんである。つまり「原発が止まる」というのは、実は言葉のマジック。原発は、そこにあるだけで、どでかいリスクがあって、それは動いている(=発電している)状態だろうと、止まっている(=発電していない)状態だろうと、ものすごいコストをかけて冷やし続けていないとぶっ飛んじゃうわけだ。

稼働している日本の原発は、54基。いま、52基が止まっているとされるわけだけど、残り2基が止まって全部"止まって"も、実はなにも安全にはならない。もちろん止まった原発を何年も何年も冷却し続ければ、いつかは冷却水を回さなくてもオッケーになって、そのときはじめてホントに止まったと言えるんだろうけど、少なくともここ当面の安全性で言えば、原発動いてるか止まってるか、という話の違いは、ドカンとなんか喰らったときのメルトダウンまでの時間が、数時間か、さもなくば数日間か、ってな違いでしかないんじゃないのかな。その一方で54基を維持し続けるだけの莫大なコストが電力会社にのしかかっている。さらに原発止まって足りなくなった分の電力を起こすために、火力発電所などの燃料コストも増大している。値上げ言ったら世論にボロクソ叩かれる。これでは激甚災害に備えるための費用さえ捻出できないぞ。と、原発持ってる側の視点で考えたら、原発止めてても、いいことはなんにもないんである。

もちろんその数時間か数日間か、という違いが、結果にものすごく大きな違いを生むのは言うまでもないわけだが、とにかく読売は、なにがなんでもすぐに原発を動かしたいんである。で、そりゃわかったけど、新聞なんだから、社説なんだから、電力足りない、安全は証明された、原発動かせ、みたいな小学生みたいな論法じゃなく、もっとまともに原発を動かすべき論拠を並べたりできないもんかなあ。