写真は午前中。ちょいとコントラスト上げてシャープにしたけど、実際はなんだかボエッとした海と空。よく見ると海岸には子どもがいっぱい。親子遠足かナニかかなあ。
子どもといえば、福島の子どもたちは、福島にいてはいけないのではないか?
もはや1週間以上前のニュースだったか、福島では、年間なんと20mSvまで被曝してもオッケー、ということになったそうな。どひゃー、それっで原発従事者と同じかいな、とかワシは驚いたんだけど、みんな意外に騒がないんだなあ。3月15日あたりだったか、既に福島県ほぼ全域が、あの黄色い三角マークでお馴染みの「放射線管理区域(法律によって山のような基準アリ)」を上回る放射線量となってて、それってつまりレントゲン室の中にいるようなもんだから、本来管理者は人間の立ち入りを禁止しないといけない。なのに国も県も放置してる、ケシカラン、とかいう誰かのblog記事を読んだ覚えがある。あれから既に一ヶ月半。避難エリア以外でもかなり被曝は蓄積してるだろう。
さらに、どひゃーどひゃーと、ワシは2度驚いたんだけど、子どもたちが校庭で遊ぶことを考え、校庭は3.8マイクロSv/時までOKなんだそうな。一日8時間までなら屋外で被曝しても年20ミリSvに収まるんだとか。
まったく、アタマがオカシイとしか思えない。何度も書いた気がするけど、この国ってホントに数字をイヂるのが好きだよね。数字をちょいとイヂって、本当のことをごまかすのが好きだよね。確かに人間、生きてりゃ自然被曝する。日本だとおよそ1.5ミリSv/年くらいだと言われてるけど、この13倍の数字をなんの根拠もなく、いきなり「安全でござい」つって、なんの意味があると言うんだ。ただ、どこかの誰かが、ここまでは「安全です」と言った、というだけである。もちろん実は安全じゃなかったとき、この国のシステムでは誰も責任とらないだろう。
まったくもー、うだうだ言ってないで、子どもを疎開させたらどうなんだ。現在の、間抜けな左派政権が死ぬほど忌み嫌っているであろう、大東亜戦争中の挙国一致内閣でさえ、政策として子どもたちを安全な地方へ移動させたぞ。たとえば東京での学童疎開は、連合軍の空襲の危険性が高まった時点で、ただちに実施されている。縁故で疎開できる者は縁故で、そうでなければ集団疎開で、とにかく子どもたちを安全なエリアへ逃がした。だって、当たり前だろう。子どもたちがいなくなってしまったら、この国の未来も消失するのだから。逆に言えばこの国が焦土から立ち上がれたのは、そんな子どもたちがいまの日本を築いたからなのだ。
茅ヶ崎の放射線量は現在のところ0.05〜0.06マイクロシーベルト/時あたりで推移していて、仮に年間ずっと0.055だとすると一日1.32、年間で482マイクロSv(0.482ミリSv)。そんな安全地帯(それでも通年の倍近いんだけど)からエラソー言うなっちゅーのもあるかもだけど、なんだかもう、日記に書き留めておきたいことがありすぎちゃう毎日なのだった。