今日朝9時の線量は0.043μSv/h。そしてこの24時間は、43〜58で推移していたようだ。ピークは昨日の11時だ。まだ首班指名も終えていない安倍が、原発の新増設に関して「(民主党政権が決めたことは)もう一度見直していきたい」と発言し、早くも新規建設の認可を匂わせている。茅ヶ崎テレビでも直接聞かされたし、選挙後のTV番組(番組名失念)で、自民も脱原発という方向は間違いなくて、だから新規建設は考えられない、といったことをTVで田原総一郎に河野太郎氏は答えていたけれど、何度も書くけどあれは河野氏の解釈するところの、自民党の希望的な姿であり、実際の自民党の政権公約に「脱原発」という文言は見当たらない。選挙前の日曜討論とかで、世耕議員も脱原発依存てな言葉を言ったりしていたけれど、そりゃ前にも書いたように、そりゃなくてすむならない方がいいよね、程度の話。ちゃんと文字として政権公約にあるのは、3年で止まってる原発の再稼動の判断するということと、10年でエネルギーのベストミックスを考える、というものだけだ。どこをどう読んでも、脱原発なんてことは書いてないし、そもそも自民の政権公約に、原発に関して具体的なことはなんにも書いていない。ぶっちゃけた話、自民党は選挙を戦うに当たって、わざと原発を争点からはずしたんである。これまた選挙後のBS朝日の番組では石破はその公約に関して「いい加減だ」と突っ込まれ、ちゃんと責任あることを書いている、と強く反論していたが、そもそも田原総一郎と石破は視座が違うのだ。原発をどうするのかというビジョンが争点だとしてものを見ている田原(ていうか、世の中のほとんどはそうなんである)に対して、石破は原発をどうするのか、なんてなんにも考えてもいなくて、原発持ってる人間や電力の不足を心配する産業界の都合(=国民の生活、というリクツだ)をどうやって守るか、にあるんである。確かに、再生可能エネルギーなんて海のものとも山のものともつかないもんを当てにして、○年に原発をゼロにするなんて言っちゃうのは無責任だ、という理屈もあるわけだけど、それは官僚の言い草だ。未来にあるべきこの国の姿を語らずして、いったい政治家にどんな価値があるというのだ。
さらに安倍はフジテレビの番組でフクイチ事件について「避けることができなかったのか、人災なのか、しっかりともう一度、政権として検証していきたい」と述べ、再検証する方針を明らかにしたという。国会事故調など、いろんな事故調がおおざっぱにはみんな「人災」だと断定したフクイチ事件だが、それを1000年に一度の大災害までは予見できなかった、とか言っちゃって天災のせいにしちゃえば、勝俣はじめ東電のすべての関係者も、そしてこれまで数十年にわたって原発の拡大に邁進してきた自民党政権の人間たちのすべても、天からきらきらと降り注ぐ光に包まれるように免罪されちゃう、というわけなのかもしれない。しかし、言うまでもないことだけど、人災だと断定したのは野田ではなくて、国会の事故調なのだ。民主党の議席が多かったから「人災」だと言われたわけじゃないのだ。つまりこれを再検証するなどというのは、この調査結果が自分たちにとって都合が悪いから捻じ曲げて書き換えたい、といってるだけなんである。