今日朝9時の線量は0.041μSv/h。そしてこの24時間は、41〜42で推移していたようだ。代替の時間が42である。
もう、あの日から2年も過ぎちゃった。あの日はよく揺れたなあ。この茅ヶ崎でさえ。
しかし神戸の地震とは大きく違って、この地震は災害が去ったあと、ただひたすらに復興に励めばいい、というものではなかった。これまで、みんなでまとめて見ないふりをしてきた原発の危険性が、メルトダウンという最悪のカタチで露呈したからだ。頑張ってればいつかは復興できる、という人間のライフスパンを超えて、ぶっ飛んだ原発は国土を蝕んだ。原発では誰も死んでいない、なんて豪語したクソバカもいたようだが、核汚染のせいで16万人とも言われる人々が住処を奪われ、避難生活のストレスで自殺者も多く出ている。また、原発事故に伴う避難やストレスによる体調悪化などで死亡した人を「原発関連死」と定義して、東京新聞が取材・集計したところ、少なく見積もっても789人にも及んだという。確かに交通事故と違って、直接の被曝によって死んだ人こそいなかったかもしれないが、原発事故は津波と異なり、ボディブローのように避難した人々を痛めつけている。そして原発関連死は人口比的に宮城や岩手よりずっと多く、しかも国が手作業による除染などという気の遠くなる作業をやっとるようでは、人々のストレスはどんどん貯まり、関連死も増えこそすれ減りはしないだろう。さらに、すでに若年層の甲状腺癌が発生しはじめているし、低線量被曝し続けることで人間のカラダにどういう影響が出るのか、その結論を人間が知るのは、いま行政をほしいままに操っている連中が死んだ後の話だ。
あの、菅や枝野によるのんきな記者会見を聞きながら、実際に起こっているであろう原発内部の状況を想像していたあのころ。本気で、これは死ぬかもしれないと思っていたはずの、現場の職員たち。これまでの自分たちの行為を振り返って、足が震える思いがしたはずの原発ムラの住人たち。喉元過ぎて忘れるには、あまりにも熱さがでかかったはずじゃないのか。そもそも、すべての事態は、まだ喉元過ぎてなんかいないのだけど。