今日朝9時の線量は0.039μSv/h。そしてこの24時間は39〜48で推移していたようだ。ピークは昨夜21時。
自分が京都に生まれたのは東山七条近く。上がって三条大橋が、五十三次東海道の西の起点だった。五十七次東海道では、街道はまるで名神高速のように京の市街をバイパスし、大阪へ引っ越した実家に近い大坂高麗橋へ至る。大阪の三越はかつてここにあったわけだけど、元禄の世、起点の日本橋にあった三井越後屋が、終点の高麗橋に支店を出すのは当然のことだったのか。いまはどっちの橋も、上に高速道路が覆い被さる無粋な景観になっちゃった。
なんで突然こんなことを思ったかというと、富岡、大熊、双葉3町の帰還困難区域を通っていた一桁国道の国道6号線が、原発事件から3年半、ようやく一般車の通行が可能になるんだそうな。6号と言えば、水戸街道。もっとも福島浜通は水戸より北なので、当時は磐城街道、浜街道、岩城相馬街道などと呼ばれていたそうな(wikiである)。律令の時代から名付けられて人々が往来してきた街道を、3年半も閉鎖させ、ようやく開通するといっても乗用車だけ。オートバイや自転車、徒歩は被曝するので通行が認められず、もちろんすべての脇道はバリケードで封鎖される、ただ通過できるだけの道路である。原発の事件、それは文化の破壊でもあったのだ。