今日朝9時の線量は0.038μSv/h。そしてこの24時間は38〜44で推移していたようだ。ピークは昨日の16時。
国は、とにかく避難エリアを元に戻したことにしたい。東電は、とにかく賠償額を抑えたい。で、一番簡単な方法は、住んでもオッケーという数値を引き上げることだ。そんなわけで、この事件までは放射線管理エリアに指定されるべきだった線量下の運動場に、子どもたちが走り回るというシュールな世界が生まれた。次の方法は、測定ポイントだけを除染することだ。福島を中心に、あっちこっちに設置された線量計は、キッチリ除染し、コンクリートで新たに土台を構築したその上に立っているそうな。まあ、その地点の純粋な空間線量を測るという意味では正しいアプローチなのだろうが、そこで得られた数値を持ってそこに人が住んでいいという判断を下すのは、間違っていると言わざるを得ない。さらに、人の暮らす場所だけを除染するという方法もある。人家の玄関を除染し、道路を除染し、はい、オッケーですよと言うわけだ。
年間20mSvオッケーというのがどうよ、というのは置いといても、飯舘で行われているのはまさにその3種複合技。河北新報の記事によれば”家屋除染を終えた大半の家で、玄関側の線量は1μまで下がったが、屋敷林や裏手は3〜4強μの数字が並ぶ“という。とにかく毎時0.23μSvを切って、避難指示を解除したいだけなのだ。しかし都会のサラリーマンじゃあるまいに、そこに住む人たちは、玄関から出て道路だけを通って出勤するわけじゃないのだ。つまりそこに住む人たちの健康なんか、どうでもいいんである。
数字を設定する目的は、住む人の健康と被害の回復だったはずなのに、まずその目的が違うし、さらに作業は数字を満足させることだけが目的になっている。タテマエと実態の乖離は、まさに、この国の姿と瓜二つなのだ。