航空慰霊碑


昭和27年4月、日本航空の旅客機もく星号が悪天候下、三原山御神火茶屋付近に墜落した。最後の占領時代で、機材(マーチン2-0-2)がノースウェストならパイロットもコパイロットも航空管制もすべてアメリカ人。なので、いまも謎だらけ。乗員乗客37名全員が死亡。そして慰霊碑が、アンテナ塔の近くに建っている。
その月の28日に平和条約が発効して日本は占領から抜け出すが、首都圏の航空管制はいまも米軍が握っている。大島上空をたくさんの旅客機が通過していくのは、航空無線標識があることより、そこが横田ラプコンから南に外れたところだからという理由が大きいのだろう。ていうか、だから標識があるのか。

Author: shun

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