今日朝9時の線量は0.038μSv/h。そしてこの24時間は38〜45で推移していたようだ。ピークは昨日23時〜0時。夕方5時から25時までは40超の推移だ。
免震重要棟を作るのやーめた、と言い出した九電・川内。規制委の田中委員長は“不快感を示した”とかいう報道は目にしたが、結局その後の白黒はどうなったんだ?
原発は、ものすごいミサイルでぶっ飛ばされるとか、そんなアホなことさえなければ(ていうかもちろんそういう攻撃を受けることも想定してないとダメだが、ココで言いたいのはつまり、そういうあり得ないような急激で巨大なチカラが加わらなければ、という話だ)、とにかく緊急停止はする。たとえば今回の熊本地震の、震源の真上に川内原発があったとしても、おそらくは原子炉は設計通り瞬時にトリップし、核反応を止める。しかし、そこからが大変なのだ、ということが、福島で得られた教訓ではなかったのか。
東電の柏崎刈羽原発が中越地震喰らったとき、もちろん運転中4基の全炉はスクラムしたが、アラームが鳴り続け、火災も発生し、という大騒ぎの中で、あろうことか緊急時対策室のドアが歪んで中に入れず、駐車場にホワイトボードを並べて連絡を取り合ったり対策を検討したそうな。まあ結果的に、1基の機能で壊れたもう1基の炉も同時に冷やしたり、多少の放射性物質の漏洩などはあったものの、想定以上の震度で揺られながらも最小限の被害ですみ、原発の安全性を世界にアピールできると考えたのかIAEAの事故評価レベルは0〜8段階の「0」。
それでも、マトモに連絡が来なかったり、自力で消火できないという連絡を受けたりで、周辺自治体と避難の相談をはじめていた新潟の泉田知事(当時から知事だ)は、東電に安全対策を強く要求。柏崎刈羽に免震重要棟を作らせ、その延長線上で1F(福島第一原子力発電所のことだ)にも免震重要棟が作られ、なんとその8ヶ月後、1Fは地震に襲われ津波をかぶり、メルトダウンに至った。そして1Fの免震重要棟は、これがなかったら日本は崩壊してた、とまで言われるほどの活躍を見せる。紛れもなく、あそこに人が踏みとどまって、1Fを冷温停止に持っていけたのは、地震後にちゃんと使える司令所が、そこにあったからなのだ。
しかし九電は、だから、あとから免震重要棟を作るという計画を規制委に出して先に再稼働さえちゃっておきながら、やっぱやーめた、である。で、委員長の不快感はわかったけど、じゃ、その川内原発は止まったのか? 否である。コイツを止める権限持ってるのは、唯一田中委員長だけ。逆に言えば止める権限持ってるんだから、不快なら止めりゃいいんだけど、止めない。ってーこたー、なーんだ、もういいのか。ほとぼりは冷めたのか。と、みんな思うわけだ。そこで昨日の時事によれば東北電も、女川と東通の原発に計画していた免震の「緊急時対策所」を、耐震に変更するんだそうな。さらに、やっぱなー、とか思って検索してみたら、なんと2月の東京新聞に、そんな記事を発見。この段階では、東通には免震重要棟だった計画を、2ヶ月で後退させているんだなあ。つまり規制委は。そういうサインをギョーカイに送っている、ということだろう。昨日も書いたけど、みんな恐くないのか。