今日朝9時の線量は0.039μSv/h。そしてこの24時間は38〜40で推移していたようだ。
アメリカ合衆国大統領バラク・フセイン・オバマ2世が、昨日、広島を訪れた。まあ、言うまでもなくアメリカでいま、大統領と言えば、トランプかヒラリーのことである。もはやこの男の発言に、世界を動かす力はない。ヒロシマ詣は、核軍縮の主張でノーベル平和賞をもらった自身の経歴に、もうひとつの歴史を加えたかったオバマと、原爆を落とした国の大統領を初めて被爆地へ連れて行って支持率を高め、同時に大陸方面に対して日米関係の強固さをアピールしたい安倍の思惑とが一致した結果の、陳腐なパフォーマンスに過ぎないと言えなくもない。
オバマは原爆資料館の、ゆっくり見て回る時間がない大統領のために特設されたらしい展示を10分ほど見て手製の折り鶴を託し、件の慰霊碑に献花し、そのあとで17分のスピーチをした。冒頭から「死が空から降り」、「人類が自らを破滅させる手段を手にした」とかいうあたりは、おいおい、「death fell from the sky」に「We droped 」が抜けてるぞ、とか、そりゃ「人類」じゃなくて「アメリカ」は、の間違いだろう、とか、添削してあげたい点は山のようにある。さらに「恐怖の論理にとらわれずに、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない」とかいうんであれば、2009年、就任時に核軍縮をアピールして平和賞もらったくせに、じゃあなんでオバマは、世界でもっとも確実に核軍縮を達成できたはずの地位にいた2期8年間で、ほんの少しでも核軍縮を進められなかったのか。とにかく、あまりにも当事者意識が欠如しすぎている。ていうか、そもそもオバマという合衆国大統領は、なにか業績を残したのか。
広島と長崎に核兵器を使用したことは、戦闘でも戦争でもない。ただのジェノサイドだ。あの戦争でそれを行ったのは、ナチスとアメリカだけである。それでも、献花したオバマの神妙な表情を見ていて、ワシは希望を持った。ヒステリックで頑迷だが、しかしついこないだまで奴隷だった人種が、プレジデントになることができる国だ。広島と長崎に核兵器を落とす命令を下した大統領からわずか70年後、たった11代目の大統領にして、被爆地を訪れることができる柔軟性を、この国は持っている。だからいつか、戦争を早く終わらせるためだとか、アメリカの若者を戦死から守るためだとか、そういう詭弁を弄するのをやめて、素直に過ちを認め、アメリカがその手でヒロシマとナガサキに謝罪の碑を建てるときが来るかもしれない。皮肉でもなんでもなく、そんな希望を、ワシは感じた。少なくとも宗教的規範もなく、伝統的価値観も破壊され、目的地も羅針盤もなく、目先の利益だけを求めて経済の海を漂うこの国と違って、まだあの国には、Justiceというものが生きているようだから。