東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保。
この17カ所は、アメリカが原子爆弾を試すために選んだ候補地だ。そしてその第1回目が、75年前の今日、広島で実施された。すでに東京など都市部への無差別焼夷弾爆撃など、ジェノサイド、あるいは集団殺戮と呼んでも過言ではない“攻撃”に加えて、人類史上初の都市に対する核攻撃に対して、当然、当時の日本政府は国際社会に対し、抗議のアピールをした。その最後の方は、ちょい長いけど引用すると、こんな感じだ。
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米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民家などを倒壊または焼失せしめたり、
而していまや新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり帝国政府はここに自からの名において、かつまた全人類および文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す
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いま読んでも、真っ当至極な抗議だと思うけれど、戦後、その抗議の意思は、どっかいっちゃった。責任の所在が曖昧だという「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」という碑文の論争は有名だけど、慰霊碑がそもそも占領下に計画されてんだから、占領国に対する配慮があるのが当たり前である。
それはともかく、Occupied Japan、まだ焼け野原の広島に全国巡幸中の昭和天皇が訪れた1947年、本田宗一郎が会社を興し旧陸軍の6号無線機発電用エンジンを自転車の補助エンジンに改造試作していた頃、戦勝国のアメリカはミルウォーキーで、こんなエンジンを作っていた。そしてこのエンジン、ほんと、そこらのバイク屋で買った新車のように、キック1発で始動して、安定してアイドルし、なめらかに吹け上がり、現代の交通速度など軽くリードできちゃう。やっぱ、こんな国とケンカするなら、もっと計画的にやらないとダメだよなあ。