悲しいことだけど、物事には終わりがある。栄枯盛衰である。盛者必衰である。奢れる人も久しからず。いや、奢ってなくたっていつか終わっちゃうのだ。諸行無常である。
たとえば、あのメルセデス・ベンツ。誰も言わないけれど、ワシの感覚的には、実はもういま売ってるベンツは、もはやあのベンツではない。ほら、W140のシロナガスクジラのような巨体には、大きくR.I.P.と書いてあったでしょ。え? 見えなかった? ワシのような正直者には140が墓標に見えるのだ(笑)。
で、ナニが言いたいかというと、アップルである。iPhoneである。以前も書いたように、ワシ的には、4sが最後のアップル製品。5のシリーズは墓標。そして6はゾンビだ。なのでワシがクルマはW124に乗り続けているように、4sを使い続けられればそれが一番なんだけど、インフラがゆっくりとしか変われない道路と違って、ケータイの悲しいところは、その環境がいきなりドラスティックに変化すること。2011年12月にアメリカからゲットして以来、ずっと問題なく使ってたのに、気が付けばたった2年でOSや通信方式やデータの大きさなどがもはや4sでは立ち行かなくなってしまった。しかし3GSから4sへ買い換えたときは、自信と希望を持って注文できたんだけど、こんどはもう選択としては、売れ残ってる墓標か、あるいは最新のゾンビの二者択一という、なんともひどい話だ。
まあ、てなわけでゾンビ発売前日に1年前のモデルをゲットして、いまは型遅れながらそれなりに快適に使っているわけだけど、ただでさえ陳腐化はゾンビより1年早いのに加えて、通信環境の進化の波はさらに加速している。もうダメだ、この5sでは使用に耐えられない、と思ったとき、ゾンビの次のiPhoneは,果たしてカネを出すに値するモデルだろうか。あるいはそのとき、iPhoneというモデルがまだラインナップにあるかどうか、アップルという会社がまだ社会に存在するかどうか……。
そのときに困らないために、社会勉強でもするか。とか考えてたところに、昨日、お隣のPCショップさんで安い初代Nexus 7の32GBストレージモデルが目にとまって衝動買いしたわけだけど、たぶんカミサンのオモチャになるヨカーン。