今日朝9時の線量は0.038μSv/h。そしてこの24時間は38〜39で推移していたようだ。ところで、玄人でも雑誌や新聞に書いちゃうんだから素人さんは言うに及ばないわけだが、相変わらず原発の安全基準などに関して、そんなこといったら地震の国ニッポンでは工場も新幹線も作れない、人が危険だちゅーなら飛行機も自動車もアウトだ、という意見が散見される。で、うっかりFacebookでちょろっと書いちゃった話をこっちにも。(^^;
まあプロはもしかするとその立場とかシガラミ上の強弁かもだけど、核燃料を扱う施設に求めるべき安全性を、一般の施設と並べて云々するのは間違ってるとワシは思う。その理由は、リカバリーのコストが根本的に違うからだ。そんなこと、みんなチェルノブイリでわかったと思ってたんだけどなあ。
あそこじゃ半径30kmが、いまも立ち入り禁止である。2800平方kmもの国土が、パー。すでに30年。そしてこれからさらに数十年、あるいはもっと長期にわたって、ヤマトがコスモクリーナーでも持ってこない限り、あのエリアはパーのままである。それだけの国土が生み出したはずの利益は、いかばかりか。603,500km2もある広大な欧州の穀倉地帯でも痛いだろうに、この狭いニッポンでそれを喰ったら、逸失利益はそれほどになるのか。
さらに、国土が失われることを数字に置き換えられるのか、という問題さえあると思うわけだ。富岡町の桜並木を、立ち入り禁止のバリケード越しに眺める写真は有名だが、いまも何万人もの人々が、故郷に帰れない日々を過ごしている。そして帰れる目処は立っていない。その望郷の念は、コスト換算できるのか。
もちろん”政府が決めた数値としてオッケー”になる日は、いつか来て、福島の立ち入り禁止エリアは縮小していくだろう。そもそも現在の福島が半径30km以内に人がいっぱい住んでいるのは、チェルノブイリとは避難しなければならないとされる被曝量の、基準の数字が違うからだ。チェルノブイリの強制移住の基準値は、年間5ミリだった。しかし福島は20ミリ。事故前は1ミリだったのに、事故後に安全だという数字が引き上げられたのだ。一時は100もオッケー、なんて話もあったなあ。
この数字をどう捉えるかについても、いろいろある。福島は最新のICRP(国際放射線防護委員会)の勧告値を適用しただけで、年間1ミリなんてのは古くて、科学的じゃない厳しすぎる数字だった、という意見もあるけれど、しかしその一方で、いまやICRPはIAEAや経済協力開発機構原子力機関など原子力推進機関の助成金で動き、IAEA委員が参加して勧告の数字を作っているのも事実だ。それにそもそもICRPは「事故後も住民が住み続ける場合は1〜20mSvを限度とし、長期的には1mSv未満を目指すべき」だと言ったのであって、ずっとずっと20ミリまでオッケーなんて言ってない。いずれにしろ、原発事故による放射線の影響なんて、真実はいまの子どもたちが死に絶えた未来、それこそ100年たたないとわからないだろう。
100万人死んだ戦争だって、10年で復興したニッポン。しかしチェルノブイリの原発内で死んでる作業員の遺体を収容できるのは数世紀後だと言われている。原水爆が大量破壊兵器だとするなら、原発事故は広範囲に渡って、世紀単位の時間を破壊する”時間破壊兵器”にもなり得るのだ。そこらの重工業プラントや化学工場なんぞの事故と同列に扱って、確率論で安全性を云々したり経済の損失を語るのは、ちょいと自分のアタマがいいと思い込んでるクソバカの、数字遊びである。
もちろんリスクをゼロにするなんてことは、不可能である。それでも原発を動かすのかどうか。動かすのであれば、どういう安全基準を適用すべきなのか。
4年前の地震でわかったことは、とりあえず女川も1Fも2Fも、6弱の震度に耐える、ということだ。で、1Fがぶっ飛んだのは津波のせいだ。だから津波にさえ耐えればオッケー、さあ再稼働だ、というのが現在の流れなんだけど、それでほんとにいいのか? もし宮城の栗原市のように震度7を喰らってたら、果たして原発はそれでも耐えたのか。地震と津波以外に、原発のリスクはないのか。そこをちゃんと考えておかないと、日本は再び、かけがえのない故郷と世紀を超えた時間と、年間の国家予算などをはるかに凌駕する金銭を失うことにもなりかねないのだ。