ホント、既存の本屋さんにとって、これほどの驚異はないだろうなあ。町の本屋さんで、amazon出現以前のやりかたで漫然と商売してたら、間違いなく淘汰されちゃうだろう。本屋というのは、本との出会いを楽しむ場所でもあるから、ちょいと時間があるときに本屋にでも入ろうものなら、そりゃもう思わぬ散財しちゃったりもするわけだが、特定の本を求めていて、探しに行ってもなかったら、時間の無駄である。そういや昔、さんざんお世話になってた青山の島田洋書も閉店だそうな。
で、ここ数年のワシは毎月3冊の雑誌を買うわけだが、とうとうここ2ヶ月、本屋に行ったにも関わらず、結果的にamazonで買うことになってしまった。買う雑誌は決まってたし、その雑誌は本屋さんにあったわけだけど、残念ながら書架の在庫は、その数冊すべてが「古本」だったんである。
天文の雑誌は、大丈夫だ。たいてい、在庫のすべてが新品だ。立ち読みするヤツなんかいないのだろう。しかしバイク雑誌はダメだ。書架に5冊あれば、そのすべてが古本だ。
で、このへんのメカニズムちゅーか立ち読みの心理学ちゅーか、ワシにはさっぱりわからんのだけど、立ち読みするとき、人はわざわざ在庫の中からキレイなのを引っ張り出して読むものなのか? 購入の判断をするために内容を確認するのなら言うに及ばず、買う気はないけど時間つぶしや情報だけゲットしようと立ち読みするにしても、平積みならばいちばん上のを手に取ればいいのではないのか。わざわざその下にある、2冊目のキレイなのを手にとる理由はなんだろう。あるいはいちばん上に必ずキレイなのがあるのだとしたら、立ち読マーは立ち読みが終わってその雑誌を戻すとき、自分が雑誌を汚したという証拠を隠滅でもするために、山の下に埋めるのか? あるいは店員さんが、いちばん上に古本があるのは不細工だからとボロいのを山に埋めて、わざわざ古本を増やしているのか? もしかしたら同時に5人もの立ち読マーが、あんなマイナーなバイク雑誌を立ち読みしたのか?
そもそも立ち読マーはなぜ、あんなにも雑誌の扱いがひどいのだろう。親指を表紙に押しつけて爪痕を残し、ページをペシャペシャ捲って皺を寄せさせて。まあ、あの手のバイク雑誌が取り上げるようなバイクに乗るようなヤツらは(敢えて名を秘すw)、そういうガサツなのが多そうではあるけれど。
まあ、ワシはもしかしたら神経質なヤツなのかもしれないが、潔癖症っつーほどではない。どうせカネを落とすなら、地元の個人店であるべきだとも思っている。なのでこれまでは5冊の古本から、いちばんマトモなのを選んで買う、という選択をずっとしてきたんだけど、ここしばらくは在庫の数冊見事に、雑誌の古本度が許容範囲を超えていた。新品のカネを払ってはいけないレベルだ。で、そういう場合、これまでは他の本屋へまわったりもしてたんだけど、人間、そうそういつもヒマなわけじゃないのだ。
と、いうわけで、思うんだけど、本屋さんは1冊は犠牲となる立ち読み用を残し、あとは多少面倒でも雑誌を縛るとかビニ本化して、新品のカネを払うヤツには新品を売るようにしないと、本屋は立ち読み場所、買うのはamazon、てのが定着しちゃうよ。って、あれ? もしかしたら、実はもう世の中、そんなになっちゃってるのかな。