今日朝9時の線量は0.039μSv/h。そしてこの24時間は38〜40で推移していたようだ。
東芝の”不適切会計”に関して、証券取引等監視委員会が金融庁に勧告した課徴金は73億7350万円だそうな。この朝日の記事だけでなく、マスコミはどこもみんな粉飾決算のことを”不適切会計”と呼び、そのペナルティを”過去最高額”だと強調し、東芝はもう充分に罪を償った、これで幕引きにしようよ、と思わせたい雰囲気がぷんぷんする。なにを隠すために? それはたぶん国が東電を潰さなかったのと同じ理由で、それはたぶん原発を国策として維持するためなんじゃないのか。東芝の”不適切会計”を調査するため”東芝が設置”した第三者委員会は、東電のそれと同じで、新潮社のコラムが書いてるが、その報告書は東芝が粉飾決算に至った最大の原因、原発に関するなんだかんだを徹底的に隠蔽していたそうな。東芝を生き残らせるという判断には、原発に加えて軍需産業の一角を担っているという国防上の理由もあったことだろう。
東芝の行為は、たった74億円の課徴金なんていうことで責任が取れるような、ちっぽけな行為ではない。しかし東電同様、3社長の辞任なんていうことでお茶を濁し、本体はなにも変わることなく業務を続けられるのならば、そんなもの実質的には無罪放免と同じ。コーポレート・ガバナンスなんてものが向上するはずもないのだ。そして、実はそれって東芝だけの話じゃなくて、国全体の未来なんじゃないのか。
いつからこんな世の中になったのかなあ。97年の山一は粉飾決算で大蔵省に引導渡されて潰れた。雪印事件も、まず2000年に1万5千人も食中毒させ、懲りずに翌々年はBSE牛肉偽装をやらかして、雪印食品は精算に追い込まれ、本体の乳業も解体状態になった。同じ2000年のリコール隠しの三菱自工は何人も死んでるだけに、最終的には三菱グループの総力で復活したけど、当時はかなりの社会的制裁を受けていた。てことは前世紀まではまだ、いやいや、それはアカンやろ、という倫理観がかすかに残ってたのかもなあ。
しかし当時から既に役人は、自分たちの思いのままに組織を増殖したり権益を拡張し、誰も責任を取ることのないラクチンな組織を手にしていたんだよなあ。企業がそれを目指すのは当たり前か。現に山一の大蔵省も、雪印の農水省や厚生省も、監督官庁でありながら誰も辞めたりしていない。今回の事件だって、とりあえず役員が辞任した東電や東芝と違い、管掌官庁は誰一人責任を取っていない。原子力安全・保安院の西山審議官が不倫で飛ばされたけど(しかもその後天下り)、大半の連中は規制庁に横流れしたようだ。また議員は、タテマエとしてはまだ選挙があるけれど、しかしそれも実質的には世襲が常態化したり、ほとんど投票行為が形骸化したり、無投票が珍しくなかったり。となりゃ、そりゃ企業だってラクチンに、無責任に、利益だけを欲しがるようになるのも当たり前なのだ。