今日朝9時の線量は0.040μSv/h。そしてこの24時間は38〜40で推移していたようだ。
1Fがぶっ飛んで、多くの面積が汚染された福島だが、国は”生活圏から離れた”森林は除染しないという方針を固めたそうな。国ってどこだ、というと、環境省である。
コストの問題から原発を再稼働させる、というような理屈でモノをいうなら、除染ほど無駄なコストはない。火に水かけて消すとか、スプレーかけて細菌を殺す除菌だとか、酸にアルカリかけて中和するなんてのと違って、放射性物質の放射は止める手立てがない。除染とは、そこにある汚染物質を、飛散させないように、人の手で、他のどこかに移すことなのだ。道路脇のことなら人手も届くが、人が分け入ることさえ困難な山林の除染など、現実的にはあり得ない作業になるだろう。そもそも集めた汚染物質を置く場所さえ、まだできてはいない。
そもそも”生活圏”とはなんだ。森林だって林業者には生活圏だ。田舎の人間なら、山菜やキノコを採って食べるなど日常のひとつだ。そしていまの除染は、家の玄関先などをちょいと拭き取って、それで線量を測って「基準以下」なら終了、そして避難指示の解除や、それにともなって補償の打ち切りという、あまりにも乱暴なことをやっている。まあ、それは地元の、早く我々を故郷に帰せ、という要求への現実的な答えでもあるのだろうが、結局それではエリアとしての線量は下がらず、故郷へ戻る人も少なく、ただ除染のためのカネだけがゼネコン経由でよくわからない勢力へ染み込んでいくという、いかにも日本的な状況を生み出している。
ホント、故郷を追われた住民のみなさんの苦しみを考えると胸が痛むけれど、汚染された地域、それも特に強く汚染されたエリアは、当面、パーになったと考えるしかないのだ。
つまりコストの問題から原発を再稼働させる、というような理屈でモノをいうなら、避雛されている人々や企業、生産物への補償に加えて、失われたエリアが生み出したはずの利益にパーになってる期間をかけて、それも原発のコストに計上して、その上で原発の発電コストを他の発電と比較しないと、それはウソの計算になるのだ。