遠い昔から持ってる本である。何度も何度も読み返してボロボロに、はなっていない。それどころか新品同様である。まあ、ワシ、本をめっちゃ大事に読むタイプではあるが、それに加えて、そんなに読んでないんである。だって難解なんだもん、つーか。
はじめて♪Like a Rolling Stoneを聞いたのは、中学生だったかなあ。もちろんリアルタイムで初出を聞いたんじゃなく、はじめて意識したという意味だけど、インパクトはすごかったなあ。How does it feel? って荒っぽくボブが叫ぶとき、ワシはまさに、どんな気がするんだ!? と胸ぐら掴まれて尋ねられているような気がした。
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?
ワシは家族と生きてたし、ワシには友だちも、ちやほやしてくれる大人たちもいたし、帰る家もあったけれど、でも、なんだかそれまでの自分が、レールの上を歩いてきたような気になった。当たり前だと思ってたことが、なんだか欺瞞に満ちているように見えてきた。そして、転がる石のように生きてみたい、と思った。
いま思えば、こんな人生送っちゃってるのも、それが間違いのもとだったんだよなあ。(^^;;
それはともかく、ノーベル賞である。自分で戦争始めて、やめたら平和賞だ。佐●栄●だのから大●健●郎みないなク●なヤツまでもらえちゃう賞だ。ボブ・ディラン、もらったってうれしかーないだろうが、しかしボブ・ディランがもらったことをボロクソいうヤツがいたら、そいつはたかが文学を、どこかの高尚な芸術だと思い上がり、しかも吟遊詩人より小説家が上だと思い込んでいるただの●ソだということがわかるから、そういう意味ではいいリトマス試験紙になるのかも。
某Facebookで、コメントのやりとりがあった。タイムラインが進めばいろんなことが埋もれちゃうし、そもそもFacebookなんて、いつまであるかわからない(爆)ので、ここに備忘録として転載しておこっと。あ、いちおーイニシャルにしておきました。(^^;
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J・Sさん ほんとにリトマス試験紙になってるな〜というのは、いろんな反応見るにつけ、実感しますね。
それにしてもこの詩集^^;悔しい(笑)
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H・Iさん 俊さんはディランのノーベル賞受賞について云々出来る資格のある数少ない人です。
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T・Iさん おいらはノーベル文学賞は文学のもんだ、と思います。だって「歌詞」には音楽がついてくるから全然、ちゃうもん。歌詞をまんま読むとたいがいどっか変。訳詞も嫌いだしなぁ^^;wでも、風に吹かれて・・・みたいにわかりやすい詞を書くディランは好き。難解なのはいいw
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H・Iさん ノーベル文学賞の過去の受賞者一覧を見た人は多分、ディランに違和感感ずる前に チャーチルに違和感感ずるんじゃないかな? 私はずっと前から何故?って思っていました。
詩は元々声を出して節をつけて読み上げるものです。日本の和歌なんかと同じですね、散文とは違います。歌詞と本質的な差はない。
問題は質だけです。 私にはディランの歌詞の質を語る能力はない。
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Y・Iさん あたしはディランが賞を取ったことについて、ロックやフォーク野郎にやるな、みたいな意見は⚫ソだと思うのですが(笑)、逆に彼に、ノーベル賞側の世界に行って欲しくないと思いました。
そういう世界に背を向けるのが彼の生き方だと思うし、彼を理解できないという大人たちを笑えるのが彼の歌だと思うの。
何だか残念な気がするのはあたしだけでしょうか…。
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K・Sさん 前半はプライベートなことですが、後半部分同感。
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米田 俊 みなさん、コメントありがとうございます。
H・Iさん、とりあえずワタクシ、云々してません。てか、できません。blogにも、難しいことはなんにも書いてないです。ありゃただの思い出話です。(^^;;
T・Iさん、ディランの詩は「歌詞」ではなく、あれは詩の朗読です。また、音楽の文学性を認めないならば、文学は、純粋な「文字」で発し、受けなければならなくなるけど、言葉に抑揚があるかぎり、それは不可能でしょ。言い換えれば、言葉はすでに、抑揚(メロディ)を内包しているわけです。なお、もちろん、そこを無視したり、意図してひっくり返した「音楽」もあります。そのあたりの分類は、人それぞれであり、また研究のテーマになり得るかもしれませんね。
再びH・Iさん、ノーベル賞云々はまた別の問題ですよね。ま、人が人に贈るからには、間違いもあればイデオロギーも入る、ということですね。それ以上でも以下でもないちゅーか。個人的には、日記に書いた受賞ケースを理由に、ほとんど価値を感じていません(笑)。
Y・Iさん、本人、受賞発表後のライブでもノーコメントですから。このあと、いろんな理由でナニか言うことになるかもしれないけれど、とりあえずノーコメが、ボブ・ディランのスタンスなんでしょう。
K・Sさん、前半が本題なんです。後半は蛇足です。(^^;
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H・Iさん 云々する資格があると言っているので、するしないは個人の自由。
かく言う私は自然科学系(ノーベルが設立した)以外のノーベル賞にはジャーナリスティックな興味しかありません。
T・Iさん ん?難しいなぁ。^^;wその辺の人に「これ、なぁに?」とディラン聞かせれば「音楽」というと思いますよ。「文学」というとらえ方は別にいいと思いますが、あら?これノーベル文学賞ですよね?単なる区分けの話ですみませんが、やっぱほとんどの人が呆気にとられていたと思います。ハルキストたちの表情も面白かったですねwで、それ切り口にすると、「昨日、ボブ・ディランを読んだ。ボブ・ディランBEST」みたいなのができますね。僕個人としてはどう考えてもボブ・ディランの今までの活動は「音楽家」であると思い、あの言葉は優れた歌詞だと思います。歌詞を蔑視する人もいるんですか?嫌だなぁ、そういうの。^@^w
T・Iさん 無知です。ボブディランの名曲の数々が大きな影響を与えたのはわかりますし
偉大なシンガーソングライターというのはわかりますが
ノーベル文学賞というとちょっと違和感。
基本的に最初に歌詞だけ見るということはまずないでしょう。
歌詞、そして歌声と曲全てひっくるめて一つです。
そうなると純粋に歌詞だけで評価して
ノーベル文学賞を受賞したということになるのでしょうか。
歌詞カードだけを見て、
一度も曲と歌声を聞かずに評価ではないと
他の作品と対等な審査とは言えない気がします。
しかし世界的な名曲ですので一度も、
ちらっと聞いたことがない人だけで審査というのはありえないでしょう。
曲や歌声も含めて影響を与えたというのなら
それはノーベル文学賞とは別の賞にするべきでは、と個人的には思います。https://sarattosokuhou.com/news/bob/
ノーベル文学賞2016は村上春樹ではなくボブ・ディランだった
SARATTOSOKUHOU.COM
米田 俊 うひ、地雷踏んだすか? (^^;;
言うまでもないことですが、T・Iさんを無知だつってるんではないです。T・Iさんが、違和感を感じてるということはよくわかりましたが、スウェーデン・アカデミーはそう思わなかったということですね。受賞のジャンルは「詩」になってます。もう地雷踏まないように、念のために書いておきますが、この話はT・Iさんとスウェーデン・アカデミーのどっちが正しいかとか、そういう話ではありません。ノーベル賞を授与する側が、ボブ・ディランの詩をノーベル賞に値すると評価したっちゅー話で、それにT・Iさんが違和感を持たれるのはまったくもって自由です。
そのへんの人が、音楽だというのは当たり前です。でも、そのへんの人が審査してるわけじゃないので、ナニがどう審査されたかは50年たたないとわかりません。あ、50年ってのの意味はおわかりですよね。別に今回の話のやりとりを揶揄しているのではなく、ノーベル賞の選考過程は秘密で50年後に公開される決まりになっている、という意味です。(^^;;
T・Iさん いや^^;米田さんたちの話題がディランの詩(歌詞)は文学だ。それをスェーデンアカデミーも認めたのはやるねぇ等。。。とはレベルが違う妄想でずれているだけですね。普通の感覚、ハルキストたちの反応、マスコミの反応、ディランの反応含めて、「なんか面白いなぁ」つーこってす。違和感は持たないですよ。風に吹かれて、しか知りませんがw上の文章、引用ですし(笑)。50年というのは昨日テレビで知りました(笑)。とりあえず、ボブ・ディラン、金あるのにまた貰うのか?が、知人との共通話題です。^^;異常w
米田 俊 H・Iさんがいうような科学系3賞は、まだ科学雑誌の論文だとか、科学的検証だとか、それなりの時間の経過だとか、いろいろ受賞理由に客観的裏付けがある、とも言えるわけですが、文学賞は最初期にトルストイでもめたように、ある場合には平和賞以上にイデオロギーに左右される賞ですし、ロビー活動の末にもらって大喜びの某作家もいたりするわけなので、んなもんどーでもいい、と、個人的には思っているのです。たぶんH・Iさんも。w んで、みんなの反応を見て、あれこれ言って楽しんでるだけです。(^^;
H・Iさん ピンポーン!
俊さんは地雷と言ったけど、どこを刺激したら、面白いディスカッションになるがというのはあるよね、
米田 俊 ディスカッションとか議論とかディベートとか、まあ、そういうのがわかってる、とか、慣れてる人ばかりだといいんですが、たまに人格を否定されたとでも思うのか、感情的ケンカになっちゃう人もいるのがコワイところですが(笑)。
H・Iさん 私も年中地雷踏んでます。
ノーベル賞選考委員会のネット、公開しているのかはわからない、炎上しているのかな?
米田 俊 そんなのあるんですか(笑)。あったら、たぶん誰も読み切れないコメント量でしょうね。別に今回のことに関係なく。w
H・Iさん ”あるけど非公開”と推測ですね、
間違い、”あるけど、議論の場ではない”みたい。
米田 俊 で、T・Iさんとの話に戻すと(笑)、ディランの詩は「詩集」として出版されてます。ビートルズや吉田拓郎は「ソングブック」ね。ナニが違うかと言われると困るけど、ひとつは書名(笑)、もうひとつは、ソングブックは詩の上にコード名が書いてある(笑)。
ボブ・ディランは、詩人のディラン・トマスから名前をとって芸名にしたように、そもそも散文詩をノートにどひゃーっと何ページも書いて、それを朗読するとしてのスタイルにメロディがより強く付く部分には付く、という創作スタイルだったようだしねー。その、“音楽”だと言われちゃう前の散文詩も発表しておけば、文句言われなかったのかな(爆)。あ、ノーベル賞、散文詩はダメなんだろうか。w
確かにノーベル文学賞の受賞リストを見ると、ボブ・ディランの受賞は異質というより、ちょいと対象枠を広げたという印象もありますが、しかしそれ言うならH・Iさんが違和感唱えてたように、チャーチルが自分の回顧録で、「歴史や伝記の記述の熟達のみならず、高揚した人間の価値についての雄弁な庇護者であること(wiki)」なんて理由で、ヘミングウェイ押しのけて受賞している方が、よっぽどオカシイ。
村上春樹は、どーなんですかね、ワタクシあまり読んでないのでナニかモノを言う資格ないんですが、実のところファンの人が騒ぐのがよくわからない。ホントにノミネートされてるんですかね。ノーベル賞って、小説とか詩は純文学的じゃないとダメな印象ないですか? ていうかゴメン、ファンの人が怒るなら撤回するけど(笑)、村上春樹ってワタクシ、通俗小説作家だと思ってましたが、純文学なの? (^^;;
で、ディランですが、カネあるのにまたもらうの、って、他のみなさんと違って、ノーベル賞欲しいとか言ってない(態度に示してない)しロビー活動もしてないようだし、受賞発表後もノーコメだしねー。賞金つってもいま1億円切ってるんだっけ? いまさらボブ・ディランが欲しがる金額でもないだろうしねー。サルトルのように受賞を辞退でもすれば、共通話題の評価も変わりますかね。(笑)
H・Iさん ひゃー、危ない、俊さんとFBで駄弁っているうちに、うっかり横浜乗り過ごした。
慌てて川崎でとんぼ返り、横浜から特急に乗れたので何とか間に合いそう!
米田 俊 うひゃー。大丈夫ですか。特急って、踊り子ですか。1駅、豪気ですね。って、もしかしたら京急?
非公開の場所なら、炎上はしないでしょーw
H・Iさん まさか東急ですよ!
米田 俊 なるほど。そもそも踊り子、川崎止まるのか、という問題もあったか。^_^;
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米田 俊 あっ、佐野さんへのメッセージが消えてる!?
そーなんです、試験紙なんです。しかし拓郎のコメントがよかった。「ボブ・ディランがいたから今日がある」
当たり前だろう、っちゅーか。w
詩集、ヤフオクではこんな状況です。w
https://auctions.search.yahoo.co.jp/・・・/%E3%83%9C%E3%83・・・/0/
ヤフオク! – 「ボブ・ディラン全詩集」の検索結果
J・Sさん ヤフオク、きてますね〜じわじわ。実は今朝少し思い出したことあります。何年か前にページの所々を写真に撮ったことを。ディランのイラストがある箇所です。自分がそれやるってのは、売るための準備なんですね。ヤフオクの履歴は見当たりませんが、ある時期持ち物多数処分した時、売却した可能性高いのです。^^;
米田 俊 ありゃま、もったいなや。w
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J・Sさん 文学を表現ということである程度広義にとらえれば、歌の詞を文学といっても納得できるし、どんな歌でも一つ一つの歌詞の文学性考える(作り手の意図とは別個に)のも楽しい作業かもなどと思ったりします。「受賞」ということとは少し離れていきますが。
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米田 俊 H・Iさん、資格不要でしょー(笑)。ノーベルの遺言的には、文学に平和を加えた5部門ですねー。経済は後付けですが。
H・Iさん 資格いらないか?
確かにノーベル賞ほ文学好きは有名、遺言は勘違いしていました。
米田 俊 どこかの誰かが、密室で話し合って(笑)、賞をあげよう、という話です。高邁な作家が大新聞から求められたコメントも、そこらの床屋談義も、同じようなモンじゃないのかな、とか思うわけですが。(^^;
H・Iさん そう、その時代の一番優れた作家がノーベル賞もらうとは限らない。 ジョイスもプーシキンも取っていないのは有名な話。
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米田 俊 佐野さん、広義に捉えなくても、詩は文学です。ていうか、そもそもノーベルは文学好きで、自身も詩や戯曲を書いてます。つまりノーベルは朗読もしただろうし、舞台での表現を考えただろう、ということです。ボブ・ディランなんか文学じゃないのになんでノーベル賞だ、とかいう人は、たぶんボブ・ディランのことも、アルフレッド・ノーベルのことも、文学のことも知らない、まさに単に無知なだけなのだと思います。
H・Iさん 詩人は第一回のプリュドムもそうですし、初めの頃はいわゆる作家よりは多い、ギリシャ以来、詩人の方が散文家よりも尊敬されていた。
米田 俊 今世紀に入ってからは、戯曲(小説併記2人含んで)が3人、詩がディラン入れて2人。ノンフィクション1人だから、昔よりは小説優位ですね。
H・Iさん 傾向が変わってきていることは確かです。新世界の文学者を意識して選んでいる気はするし、
米田 俊 傾向ちゅーか、やっぱそのときそのときの世情に大きく左右されるってだけの話でしょうねー。
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J・Sさん 詩や戯曲も書いていたんですか〜確かにその先にある表現まで考えたら、歌詞もまた文学が包括しているものというのは納得できます。
米田 俊 今回の世の中の反応で、いちばんへーと思ったのは、文学=小説、と思い込んでる人の多さでした。(^^;