今日朝9時の線量は0.038μSv/h。そしてこの24時間は37〜38で推移していたようだ。
「人が住めないところに住ませようとするのは犯罪だ」といって、上っ面の除染などを“復興”と称し住民を戻させようとする国や県と対立した双葉町の井戸川前町長。あのとき、周辺他自治体も一緒になって、そうだそうだ、こんな汚染エリアに人が住めるか、とか共闘できればよかったんだけど、他は他で、ここからあっちは帰宅困難、ここから向こうは居住制限、そのあっちは避難指示解除準備とか、地域が恣意的に引かれた線で分断され、自治体内の意思さえまとめられない状況におかれちゃって、だからダメなエリアをマシなエリアにする必要に迫られていた。もちろん国のカネで。なわけで、他の地域の“復興”がどんどん進むなか、双葉でもウチにも“復興”という名の恩恵(カネ)をくれよ、という勢力が不信任決議案を3度も出し、とうとう現伊沢町長に代わって双葉町は周辺自治体と同じく“復興”を目指す自治体になり、伊沢は埼玉アリーナに避難していた役場を、福島に戻した。
6年目を迎えるにあたっての朝日の特集記事では、「復興1周半遅れ」という表現があった。井戸口前町長が正論を振りかざしている間に、他地域は1年半、先に進んだという意味だ。「昨年の双葉町の復興関連事業の数は、同じく第一原発が立つ、隣の大熊町の半分以下にとどまる」というのは、逆に言えば、もう大熊の半分にも及ぶ復興事業のカネが、双葉に落ちているということだ。また、中間貯蔵施設を受け入れた双葉には、生活再建支援名目で389億円が入ったそうな。
記事(3回連載の“上”)では、伊沢が「双葉町は被害者だ。なぜ、被害者が存続をあきらめなければならないんだ。住民が戻ることをあきらめた瞬間、町はなくなる」という言葉で締めくくられている。被害者なのは、紛れもない事実だ。しかし、井戸川がそう考えたように、住む場所がなくなった、という被害だってある。現に6年間、双葉は面積の96%を帰宅困難区域に指定され、全町避難が続き、帰還の目処はまったく立っていない。そんな状況を、町がなくなっていない、と呼んでいいのか? そういやホントにダメなエリアを帰宅不可能区域に指定するという案、昔、政府で議論されたように思うけど、どこいったんだろう。