今日朝9時の線量は0.037μSv/h。そしてこの24時間は37〜38で推移していたようだ。
あくまでもこれはワシの勝手な思い込みだけど、裁判官なんかになる人間は、言ってみれば“エリート”である。大事にカネかけて育てられ、東大法などを上位で出て司法試験も司法研修所も上位でサクサク進んだ、そういう人間が持つのは、社会的な正義感などではなく、法的な事務処理能力だ。ていうかそもそも東大、日本という国家を起こすとき、国家運営に関する膨大な事務作業を処理できる人材を育成するために生まれたわけだから、その目的を見事に完遂しているわけだけれど、だからそこにあるのはあくまでもアタマのいい法文解釈であって、庶民が勝手に期待しちゃう“大岡裁き”のようなヒューマニズムや、ほかに国ではあったりする“ジャスティス”とか宗教的規範も、陪審制のような一般人の感覚も、そこにはない。
講談社の現代ビジネスというサイトに、「原発を止めると左遷…エリート裁判官たちが抱える「大苦悩」」というコンテンツがあった。ホント、福井の原発を止めた裁判官が、家裁に飛ばされたのは驚いたよなあ。あんな露骨なことを、この国はするんだなあ。しかしそもそも、ああいう樋口裁判長のような人はきわめて希で、ふつうの裁判官は、国家の都合をよく忖度する。ていうか、そもそもこの国は、行政も、司法も、立法も、言ってみれば同じ釜のメシを喰った同級生たちが、手分けして行っている。三権分立なんて、できたときから形骸化しているんだよな。