敗戦記念日である。終戦記念日と呼ぶのは、なんか間違ってる気がする。だって「終戦」というと、なんだか勝手に戦争が終わったみたいじゃないか。それに、勝手に戦争が終わったなら、勝手に戦争が始まった、なんてことにもなっちゃう。
戦争はあくまでも、この国のどこかの誰かが、相手国に「負けました」と宣言した結果、終わったんである。そしてあの戦争は、この国のどこかの誰かが、戦争するべし、と決めてはじまったのだ。つまり75年前の今日は、日本が戦争に負けた日、なのだ。それ、けっこう大事なポイントだと思う。
戦争というのは、勝たないとやる意味がない。だから、ホントなら、どこの誰が負ける戦争を始めたのか、とか、どこの誰のせいで戦争に負けたのか、という責任を、キッチリ追及しなければならない。そうしないと、次のとき、また同じ失敗を繰り返すからだ。
国家の意思決定にも、軍の作戦決定にも、数々の重要な分岐点があった。その分岐点で、どこかの誰かが、その選択をしたから、日本は戦争を始め、そして戦争に負けたのだ。そしてその選択の責任を、曖昧模糊なものとするために、終戦記念日、という言葉が意図的に使われているような気がするんだよなあ。
あ、補足その1。この国のどこかの誰か、というのは、もちろん昭和天皇のことではない。補足その2。いわゆる“東京裁判”は戦勝国による事後復讐的行為であり、日本人による、日本人に対する戦争責任の追及ではない。
分岐点は、自分だって、毎日、いくつも通過している。その選択の結果がどうあれ、信念を持って選択したいものだなあ。