いや、横須賀は衣笠にある、ただの小さなバイク屋さん(ていうか用品屋?)である。だが、70年代、関西に住んでバイクをチョッパーにしていたワタシには、ここの通販が、ほとんど唯一のパーツ供給先だったのだ。毎月、バイク雑誌に掲載された広告の、数々のパーツのちっちゃい写真を何度も何度も眺めては、自分のバイクのカスタムをイメージしてたなあ。米兵相手にチョッパー作ってるから、そんなパーツが手に入るに違いない。まわりはさぞやアメリカンな場所なんだろう、なんて勝手に思ってたけど、ちょっとイメージの違う場所だった。(^^;
私も偶然前を通りました。昼間で店内も人気がなくちょっとショックでした。昔バイク雑誌で名前があがってたのでイメージと違ってました
たけべーさん:
わたしの場合はこんなふうに閉まってたので、そのへんはわかりませんでした。営業を続けているということは、それなりにお客さんがいるんでしょうね。
初めまして失礼いたします。画像検索していて通りかかった横浜の者ですm(__)m
衣笠インター近くのは本店で平成ひと桁くらいまでドブ板に2号店があり、そちらは横断車道の向こう側に横須賀基地のゲートが見えたので「ザ・アメリカ」な雰囲気でした。
二十歳頃(三十数年前)お世話になっていたバイク屋の店長(色々教わったので「師匠」と呼んでました)が横須賀出身で「ナックはよォ、チョッパーもだけど塗装が凄かったんだよ!『ナック塗装』つって、ナックじゃなきゃあの模様は塗れなかったんだぜ。秘密はよう”サランラップ”なんだよ。」と教えてくれました。いまでいうサランラップを使い模様を描く「ラップ塗装」らしいんですが師匠や師匠の友人(若い頃からツルんでいた横須賀が地元な方々)達は「ナック塗装」と言ってました。
ベース前のお店は息子さんが営んでいて、息子さんの渾名は「ピンポン」だったそうです。由来はピンポン玉みたいにまん丸な体系からだとか(笑)チョッパー以外だと、国産車でレース活動もしていて別の先輩(十数個年上)は「チョッパーはミーハーなヤツな、俺はヨンフォアでレースしてんトキに世話になったっけよォ」って話も聞いた事があります。ピンポンさんもライダーとして走っていたそうです。なんでもZ750RSでサーキットを走行中にチェーンが切れた事があり、それも70年代のレーサーに用いられていた「ダブルチェーン」っていうんですか?僕は古いバイク雑誌(師匠が持っていた70年後半の物)の画像でしか見た事ありませんが、当時は今ほど強度が無かったのでスプロケとチェーンを二重にして強度を出してたって教えてもらいました。ソレを切ったので師匠は「俺も聞いた話だからホントかどうかわからねぇが現場に居て見たって話も聞くからホントだろうな。でもよぉアレはマシンのパワーじゃねぇ、ピンポンの体重にチェーンが負けたんだよ。」って言ってました(笑)
ベース前のお店を知ったのは中学生の頃(80年代半ば「キャッツアイ」というサングラスを買いにw)で店の前にカッコイイハーレーが何台も止めて在り興味津々だったんですが悪そうなお兄さんが沢山屯って居て怖い印象の方が大きく入店までには至らなかったなぁ(苦笑)本店の方は二十歳頃知り合った友人(元峠小蔵w)の家の近くで偶然知りました。その友人はレプリカにしか興味が無かったので「あそこ有名なお店らしいけど欲しいパーツ置いて無いから入ったこと無い」って言ってました。
そんな感じで僕自身はお店に行った事はありませんが当時(チョッパーブーム)を知る方々に色々お話を聞けたので、その当時から知っているみたいな変な錯覚をしています(笑)
ナックの画像を見て師匠や大先輩方との思い出がよみがえったので長々とコメントさせて頂きました。
rabininjaさん:
SNS全盛の昨今、時代遅れのblogにコメント、誠にありがとうございます。
ライダーはみんなそれぞれ、いろんなお店にいろんな思い出がありますよね。
この店は、そんなわけでワタクシも、中に入ったことはありません。このとき、前を通ったのが、リアルな遭遇の唯一のものです。ただ、広告ページを穴が空くほど見つめてたワタクシはその後、ギョーカイの片隅にいたりもしたので、ココンチがチョッパーそのものの製作もそうだけど、なにより塗装が圧倒的に強いんだということは知りました。似たような感じで言えば、佐藤由紀夫さん率いたDENもそうですね。
最近ハーレー降りちゃって、バイクネタ激減の当blogですが、今後ともよろしくお願いいたします。