往時の姿を見てみたいんだけど、そのころにはあまりにも日常過ぎて、記録にも残していない。そんな、通学路の30年後を歩いてみた。環状線のガードだけは、変わっていないようだ。
いまは大きな病院になった、統廃合された中学の跡地。そこから、当時も歩いた梅田への道が、阪急東商店街。ここは、あのころもこんなもんだったような気がする。看板やネオンの名前なんか、ひとつとして同じモノはないんだろうけど、そんなことはどうでもいい街なのだ。
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