実家の窓から北を見る。1970年4月の天六ガス爆発で、このあたりは丸焼けになったのだった。こないだまで大淀区という、ウチとは別の区だったはずだけど、いまは北区に飲み込まれている。緑のところが、長柄国分寺。
伊丹へ降りる飛行機は、こんなコース。もうギアも出て、いわゆるファイナルアプローチ。コッチからこんなに大きく見えるってことは、当然、飛行機からもウチが見えるのだった。というわけで、空路大阪へ帰るときは、A席希望(笑)。夕方の到着ラッシュ時に屋上で空を見上げると、4〜5機が上空で並んでいる。
DON'T TRUST UNDER 65 ;-)
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今日は、ご実家の豊崎東地区も大変な変わりようです。
国分寺・鶴満寺・鶯塚・長柄墓地等の昔ながらの施設が
道標になっています。
天満橋筋(と当時呼んでなかったような)も、昔は細い南行き一通の道だったのにねえ。そういやタクシーでも、昔なら長柄国分寺とか天満橋筋の北詰で通じたのに、最近は樋之口町と言わないとわかってもらえなかったりする。天下一品のある交差点やがな、というと、さらに理解度高し(笑)。
当時の細い道が 亀山街道(別名高槻街道)のなごりで、
現在天満橋ある所に古来の渡辺橋があったようです。
大江山の鬼退治で有名な渡辺綱出身地の渡辺の里のようです。