いわゆるお盆にして、敗戦記念日。その形式や場所について思うことがあろうがなかろうが、この国のために、つまりこの国にいま生きている日本人のために命を捧げた二百数十万の人々に、誰ひとり手を合わせないこの国の閣僚たち。あんまり政治的なことは書かないこのblogだけど、これは思想ではなくて感情の問題なのだ。過去とは、100年前に突然はじまったことではなく、有史以来連綿と流れ続ける、人と出来事の大河なのだ。敗戦後に埋め込まれた小賢しい思想で歴史を裁き、生きている我々の礎に感謝できない、こういう指導者を選んでしまったいまを生きる日本人に、果たして1000年の未来はあるのだろうか。