月が縦長なのではなく、写真が縦長なんである。月の出でも撮ろうと3時10分前から寒いベランダで待ってた(月の出は3時1分)のに、月が見えたときにはもうこんな高さだったので2枚継ぎ。地表近くに雲があるんだろうなあ。月齢は24.9。筒は、久しぶりに引っ張り出したヤフオク5号(ED70mmのF6)で、いつもの画面幅(512)だと縦が1000超えちゃうので256にしたら、横にスペースがどーんと余っちゃうので、タラタラ書いているんである。
もう原発のニュース、わたしはほとんど追わなくなってしまった。ほとんどのことが、だいたい当初の想定通りに推移していて(どうだ、オレの読みが当たっただろう、エッヘン、という意味ではなく、炉心のコントロールを喪失した原発はきっとこうなるだろうという、誰でも理解していたはずの想定ね)、この期に及んで奇跡的に冷温停止に成功したとしても、5年とか10年単位の後処理が強いられるだろう。そしてこの先さらに悪いことが起こるとすると(かなりの確率で起こりうるのだ)、チェルノブイリと同様に、世紀単位のタイムスケールで解決を図ることになる。誰が、なにをどうやって、どんなふうに実行するのか知らないが、核燃料をはじめとする放射性物質や、汚染された建屋、各種機材から瓦礫などを完全に除去できるその日まで、かつてここに福島第1と呼ばれた原発があった、と言われる場所にはとんでもない量の放射性物質が存在し続け、海へ漏洩したり、土壌に拡散し続けるだろう。東電は、地震や津波対策という小銭をケチったために、短期的にはおそらく数兆円規模の損害を生み、中長期的には世紀をまたぐ地球規模の環境汚染をもたらした企業として、歴史に名を残すだろう。事故への対応を誤った現政府はもちろん、癒着や天下り、献金や金銭提供でズブズブの関係だった政・官・財・学一体の原子力利権享受連中や、大スポンサーに遠慮してまともな批判さえできなかった大マスコミのことを、日本人はもちろん、世界の人々は忘れないだろう。まあ、どうせ連中は逃げのプロだ。きっとうまく逃げおおせてしまうんだろうけれど。
わたしは未だにピンと来ないんだけど、もう、なにもかも、起こってしまった出来事なのだ。子々孫々の時代にまで、重くて辛い宿題を残してしまったのだ。そして当面の問題としても、原発事故に関する”復興”は、たぶん”元に戻ること”ではないんだと思う。