もうすぐ5月だというのに、まだ風はけっこう冷たくて、空もなんだか春のように霞んだ感じ。こんなんだったら、昨日、土星も見ずにうだうだしてて寝ちゃったのも正解だったな、なんて負け惜しみしてみたり。(^^;; しかし久々に10時間以上寝たので、今日はかなりスッキリ。( ̄ー ̄)
今日13時の放射線量は54nGy/h。一方の水道水の放射能濃度は、昨日分からヨウ素-131、セシウム-137に加えてセシウム-134も計測するようになったらしい(項目が増えている)が、いずれも不検出。先日から「0.5Bq以下は不検出とする」ってことになっちゃったわけだけど、まあ、0.5BqなんてのはWHO基準よりずっと下の話。WHO基準の倍くらいなのに20Bq以下は不公表、なんて自治体よりずっとマシである。
で、原発はヤバイ、ということになった。んなもんずっとずっと前からヤバいんだけど、ポーンといっちゃって、ワシもみんなもようやくそれに気付いた。で、すぐさまみんな思っちゃうわけだ。やっぱ自然のエネルギーが安全でクリーンだ。これからは太陽だ。これからは風力だ。そして新聞は「風力発電で原発40基分の発電可能 環境省試算」なーんて、タイミングよく煽ってくる。
どこかでニタニタ笑ってるヤツらの顔が目に浮かぶ。太陽や風力で、儲かるヤツらがいる。利権や許認可権をでかくできるヤツらがいる。
そもろも太陽は、風力は、ホントにクリーンなのか? ホントに人にやさしいのか? 太陽発電なんて、まさに天気任せの、省エネ気分向上グッズだという話もあるくらいだ。また、いかに少なめに見積もって発電量を試算し、原発と比べたちゅったって、風力なんて、まさに風任せ。電力がどんなに必要でも、風がなければ風車は回らない。電力需要がなくても風が強けりゃガンガン回る。だから風力発電は、夏の日中に風が強い、という立地でないと、発電量の試算なんか意味がない。「風の強い東北地方では、原発3〜11基分が風力でまかなえる」なんて書いてるが、東北で、冬の夜中にガンガン発電して、いったいその電気、ナニに使うんだ!?
それに、あの風車は、人家の近くに立てるべきではない。実は以前、外房でそんな風車の比較的近くに家を借りてたことがあるけど、ミーコン社(デンマーク)の、250KWちゅー小さなヤツが1機あるだけで、回ってると異様な不快感。これが有名な低周波騒音っちゅーヤツか、である。ていうか可聴範囲の騒音だけでも、充分に不快。すでに日本のあっちこっちで実験的に立てたり稼働している風車がいっぱいあるけど、その多くは近隣の集落と問題を起こしながら、場合によっては司法を巻き込みながら、公益性の大きさだとか、被害との因果関係が証明できないとかいって住民に泣き寝入りを強いているものばかり。そしてその背後には、原発と同じような、政・官・財・学が一体となった利権構造が渦巻いちゃってるわけである。んなもん、ググればボロボロ出てくるのに、御用メディアはんなこと一切調べようともせず、役人の出すプレスリリースを丸写しして、新聞記事でござい、とやっちゃう。ホント、今回の地震で、日本の”報道”がここまで死んでたことに気付かされるとは思わなかった。ちょっともう、なんちゅーか、あり得ない。アタマを使っていない、バカだ、なんていうのはもちろんだけど、それ以上に、いやしくもジャーナリズムだとか社会の木鐸を標榜していながら、ここまで政府やスポンサーに阿ることができるなんて思ってもみなかった。最も大切な”疑う心”が完膚無きまでにカネでずぶずぶにされて、死に絶えて、どろどろに腐り果てていたなんて、思ってなかったなあ。
効率的に風で発電するためには、集中的に風車を立てるしかないわけだけど、この狭い日本列島、住んでいる人間のことをちゃんと考えるなら、そんな場所はない。となると、洋上に人工島でも作ってプラントを建設するしかないわけだが、さて、どんな発電コストになるのだろうか。